今回は『「エンタメ」の夜明け ディズニーランドが日本に来た日』を購入したので、読んでみます。
ディズニーマニアには絶対に欠かせない本ですよ!
どんな本なの?
書いた人:馬場康夫(制作会社社長)
ざっくり内容:エンターテイメント「生みの親」の「戦い」に迫る
この本は、ホイチョイ・プロダクションズという制作会社の代表取締役、『馬場康夫』氏によって書かれました。ざっくり内容:エンターテイメント「生みの親」の「戦い」に迫る
彼は大学卒業後、日立製作所の宣伝部に勤務後、今の制作会社を立ち上げたそうです。
1987年公開の映画『私をスキーに連れてって』で、監督デビューをきっかけに、様々な有名作品を手がけています。
なんと、AKB48のミュージックビデオも手がけていたとは驚きです!
東京ディズニーランドの総合プロデューサーの堀貞一郎と出会ったことをきっかけに、この本を書いたそうです。本書にも、そのエピソードが記されていました。
この本は「小谷正一」「堀貞一郎」「ウォルター・イライアス・ディズニー(ウォルト・ディズニー)」3人のプロデューサーに焦点を当てて、エンターテイメント「生みの親」の姿に迫っています。
隠れミッキーや待ち時間短縮などの裏技は書かれていません。
しかし、同じエンターテイメント最前線で活躍する著者だからこその「人脈」や「視点」で構成されており、非常に読み応えのある内容に仕上がっています。
どこで買ったの?
ぼくは、駿河屋で購入しました。数年前に手に入れたのですが、タイミングよく中古の在庫があり、300円で買うことができました!!
Amazonは、在庫が豊富なのでオススメです!楽天市場やYahooショッピングでも、たまに値段の安い中古品が出品されていることもあります。
手に入らなくなる前にゲットしましょう!早いうちがオススメです!
過去には、『ディズニーランドが日本に来た!「エンタメ」の夜明け』として発売されていたようです。
本の構成は?
下記のような9章から主に構成されており、237ページあります。
文章が中心ですが、たまに非常に貴重な写真(モノクロ)があります!
- 史上最大のプレゼン
- ディズニーを呼んだ男
- パッカードに乗った次郎長
- 黒い蝶
- 世界の国からこんにちは
- 祭りのあとさき
- ウォルト・ディズニー
- 利権の海
- 白いキャンバス
記者ではなく、”制作者の視点”から書かれているため、非常に詳しいです。
他の本ではお目にかかれない内容も多いので、とても濃密です。
気になる内容は?
今回は後半で気になったことをピックアップしようと思います。オリエンタルランド元副社長『奥山康夫』とは
先述のように奥山康夫は、ディズニーランド誘致のプレゼンテーションに多大な貢献をしました。
なんと、彼はオリエンタルランドは第一志望ではなかったようです。
後に副社長となる奥山康夫がそんなオリエンタルランドに入社したのは、1965年のことであった。
その前年、繊維会社に就職が決まっていた奥山は、その繊維会社が不況で銀行から人員の整理を突きつけられ、家までやって来た人事担当常務から、「この話はなかったことにしてほしい」と言い渡された。(p,198)
もともとは繊維会社の志望だったようです。そんな時に頼りの綱西田のが、奥山の父親の旧知、高橋政知である。
高橋は、奥山のために、日本化薬という会社を経営していた立志伝中の人物、原安三郎に紹介状を書いたが、あいにく年も替わって1月に入っており、日本化薬の人事は「うちの採用は終わっちゃってるから、まあ、来年だったらなんとかしてあげられるけど、今年はムリだね」との返事だった。(p,198)
その状況で、高橋からこんな提案を受けます。
「じゃあ、三井不動産か清水建設を紹介してあげよう」(p,199)
しかし、奥山は周りが優秀すぎて劣等感を感じてしまう、と断ったと言います。そして・・・
「そんな立派な会社じゃなくていいんです。どこか面白そうな会社はないでしょうか」
そこで高橋が初めてこう言った。
「だったら、俺んとこに来るか?」(p,199)
どうやら、高橋は大事な友人の息子を迎えるには、自分の会社は小さすぎると思い、最後まで出さなかったようですね。
「なにをやってる会社ですか」
と、奥山が訊ねると、高橋はこう答えた。
「世界一の遊園地を造る会社さ」(p,199)
この話を聞いて、ゾクゾクしました。なんか、かっこいいですね!
余談だが、奥山の最初の仕事は、こんなのだったらしいです。
最初の仕事として奥山は、川崎千春から蒸気機関車の買い付けを命じられた。川崎は、浦安の埋め立て地に交通博物館を造るつもりだった。この計画は程なく頓挫してしまう(p,200)
こんな仕事もしてたんですね!
ちなみに、パークでも長年演奏していた外山喜雄は、彼の高校の後輩なんですって!そんな彼は、ディズニーのCDもプロデュースしています!
アトラクションが3つだけになってたかも!?
今でこそ、東京ディズニーランドのアトラクションは数え切れないほどあり、1日でも遊びきれないほどです。
しかし、当時の誘致段階では、こんな案もあったらしいです。
堀の社内でのライバル、丹沢章浩だけは、ディズニー社から、『ホーンテッドマンション』『カリブの海賊』『イッツ・ア・スモールワールド』の3つを買って来られないか、という腹案を持っていた。この3つを持って来て、「大感動施設」として遊園地施設の中心に置き、その周辺に幾つかのサブ施設を散在させると言うのが、丹沢の考えだった。(p,203)
ちなみに、丹沢章浩はオリエンタルランドの出資会社でもある「朝日土地興業」の社長の息子らしいです。アミューズメント施設経営の専門家らしいです。
ひょっとしたら、3つのアトラクションだけになっていたかもしれないですね!
奈良にディズニーランドがあった!?
そもそも、三菱か三井かという以前に、ディズニーが日本を選ぶのかという問題点もあったと言います。
なぜならば、かつて奈良にディズニーランド(?)があったから!?
1950年代末、松竹系列の千土地興行という不動産と興行の会社(全盛期には、かしまし娘、夢路いとし・喜味こいし、中田ダイマル・ラケットなど、関西お笑いスターの大半を擁していた)が、奈良の旧日本軍の兵舎跡に『ドリームランド』という遊園地を造ろうとして、50年代にディズニー映画の日本での配給権を持ってい大映を通じて、ディズニーと接触。「将来、一緒に日本で事業をしたい」と申し出て、ロスのディズニーランドを裏側までつぶさに見学させてもらい、その後、ディズニーの了解なしに、システムをそっくり真似した遊園地を造ったため、ウォルト本人が生前日本人に対して強い不信感を持っていた(p,15)
東京にできる前に、勝手につくちゃってたんですね。ちなみに、千土地興行もドリームランドも今は無いです。
横浜にもドリームランドはあったみたいなんで、ちょっと行ってみたかった!
ご存知のように、堀貞一郎は東京ディズニーランドの総合プロデューサーとしても知られます。そんな彼が、電通に入社した理由が語られていました。
当時としては珍しい、テレビの仕事がしたかったみたいですね!
そして、彼はテレビCMなどいろいろな企画を手がけたんです。こんなのもそうです!
今では当たり前となりましたが、こんなのも手がけてたんですね!
きっかけは、著者の馬場康夫が出版した本だと言います。
それを読んだ堀から電話があり、アプローチがあったんだとか。そして、運転手付きのセダンで勤務先まで迎えに来てくれたと言います。
それがきっかけで、堀貞一郎とのつながりができ、本書を書いたらしいです。なんとも感動的な出来事ですよね!
残念ながら、堀は2014年に逝去してしまいましたが、著者も偲ぶ会に参加したらしいです。そして、そこには堀の本とともに、本書もあったようです。
堀貞一郎が書いた本もオススメですよ!当時の本人の感情がよくわかります。
堀貞一郎の電通時代
ご存知のように、堀貞一郎は東京ディズニーランドの総合プロデューサーとしても知られます。そんな彼が、電通に入社した理由が語られていました。
バイト先のNHKの先輩から「日本電報通信社という会社が、テレビジョン放送局の開設を企画しているらしい」と聞かされた堀は、同社の就職試験を受け、最終の社長面接で、胸を張って「テレビジョンの仕事がしたい」と言った。(p,41)
当時としては珍しい、テレビの仕事がしたかったみたいですね!
そして、彼はテレビCMなどいろいろな企画を手がけたんです。こんなのもそうです!
1960年代半ば、激増の一途にあった交通事故の死者数を減らすためのキャンペーンを考えて欲しい、との依頼が警視庁から電通に舞い込んだ。予算は500万円。
堀貞一郎は、交通事故死の3割を横断中の歩行者が占めていることに着目し、
「手をあげて 横断歩道を 渡ろうよ」
という七五調標語を考え出して、町中に掲出した。(p,130)
今では当たり前となりましたが、こんなのも手がけてたんですね!
著者と堀貞一郎の出会い
きっかけは、著者の馬場康夫が出版した本だと言います。
1985年、科学万博のために来日したスウェーデンのグスタフ国王がお忍びで東京ディズニーランドを訪れ、子供たちに交じってエレクトリカル・パレードを庶民の人混みの中から見物している様子を、『OTV』(ダイヤモンド社)という本の中に書き、ウォルトが映画『ピノキオ』の主題歌、『星に願いを』の歌い出しの歌詞、「星に願いをかけるとき、人に差別はありません」にこめた思いを綴った。(p,226)
それを読んだ堀から電話があり、アプローチがあったんだとか。そして、運転手付きのセダンで勤務先まで迎えに来てくれたと言います。
車は高速に乗ってまっすぐ浦安のディズニーランドに向かい、メインストリートの端の2階にあるスポンサー接待用のレストラン、『クラブ33』で昼食をご馳走になった。(p,226)
それがきっかけで、堀貞一郎とのつながりができ、本書を書いたらしいです。なんとも感動的な出来事ですよね!
残念ながら、堀は2014年に逝去してしまいましたが、著者も偲ぶ会に参加したらしいです。そして、そこには堀の本とともに、本書もあったようです。
堀貞一郎が書いた本もオススメですよ!当時の本人の感情がよくわかります。
前半はこちらをチェック!
富士スピードウェイにディズニーランドができていたかも!?
ぼくのオススメの買い方!
ぼくのオススメの買い方は「1,500円以上のお買い上げで送料無料!通販ショップの駿河屋」です!知る人ぞ知る中古品の通販サイトなのですが、駿河屋で扱っている商品は、Amazonや楽天市場、Yahoo!ショッピングでも検索できない場合が多いです。
ディズニー関連の本やCD、DVDもなぜか破格で出品されていることが多いです。ぼくもお世話になっています!!
在庫は激しく変動するので、タイミングが合えば、破格に出会えるかもしれません。
まとめ
ウォルト・ディズニーや堀貞一郎と同じ、”プロデューサー”という立場から書かれている本でした。記者ではなく、彼らと同じ業界で最前線で働く著者だから書くことができる内容に仕上がっています。
他にも読んでみたので、ぜひ参考にしてください!
他の本よりも詳しくて、濃密な内容です。特に、「堀貞一郎」やその周辺の事情を知りたい人は是非読むべき本だと思いました。
詳しい内容を知りたい方は、是非買って読んでくださいな!
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